
エコフェミニズム · 書物
地球と和解する
原題Making Peace with the Earth
ヴァンダナ・シヴァは土地、水、気候、森林、食料と種子をめぐる争いを結びつけ、企業権力と生命を支える労働を問い直す。
書評と読書案内
ヴァンダナ・シヴァの Making Peace with the Earth(『地球と和解する』)は、「地球に対する戦争」から「食をめぐる戦争」へ進み、最後に成長を超える経済を問いかける。土地の取得、水の支配、気候危機、森林開発、飢餓、種子の所有権や貿易は、独立した環境問題としてではなく、生命を支える条件を誰が使い、誰が定義し、枯渇の代償を誰に負わせるかを組み替える連続した問題として配置されている。Pluto Press の目次はこの構成を示し、シヴァは2010年のシドニー平和賞講演で「戦争」を、生態的・倫理的な限界を無視し、生きた資源を売買可能な財産へ変える経済秩序として説明している。Pluto Press の版紹介と目次 · Sydney Peace Foundation の講演
前半が描くのは、資源の収奪を一回きりの採掘ではなく連鎖として見る視点だ。鉱山は鉱石を掘り出すだけではない。水の流れ、生計、食料安全保障、そして「開発可能な土地」とみなされた地域の人々が政治的に発言できる位置まで変えてしまうことがある。講演でシヴァはニヤムギリを例に、ボーキサイト採掘と水源・農業、山とドンゴリア・コンドの人々との関係、企業による開発への抵抗を結びつける。山は経済資源であるだけでなく、水源であり、生活の領域であり、文化的・精神的な関係の場であり、共同体が決定権を持つ基盤でもある。こうした複数の意味は、損益計算だけでは捉えられない。Fernwood Publishing が再掲する書評も、オディシャ州の POSCO 計画を取り上げ、企業の計画、行政権力、土地取得と地域の反対運動が具体的な場所で交差する様子を紹介している。Fernwood Publishing 掲載の書評
土地から水、気候、森林へと進む構成は、視野の尺度も変えていく。特定の土地とそこに暮らす人々から、生態系全体、さらに環境負荷が国境を越えて配分される仕組みへと広がる。ABC のインタビューでシヴァは、富裕層の消費が、インドや中国などに汚染を伴う生産を移すことに支えられていると論じる。「戦争」を政治的な比喩として読めば、こうした負担の移転を可能にする制度や不平等が見えてくる。ただし、それはあらゆる環境紛争を武力紛争と同一視することではない。この区別によって、地球規模の過程を所有権や貿易、どの「開発」論が正当と認められるかという具体的な決定につなげられる。ABC『Lateline』のシヴァへのインタビュー
資源をめぐる争いから食料・種子へ移ると、フェミニズムの問いはさらに明確になる。食料は市場で売られる作物の量だけではなく、多様性、栄養、入手可能性、栽培知識、そして人々に食べ物を届け続ける労働を含む。シヴァは本書の問題意識をめぐる ABC のインタビューで、商品作物の生産量だけを農業の成果とみなすことに異議を唱え、単一作物の拡大が他の作物の減少や、水・エネルギー・資金投入の増大を伴いうると説明する。また種子をめぐる支配を、ロイヤルティ、負債、農家が種を保存できるかという問題として語る。これらはシヴァ自身の主張であり、立場を離れた統計ではない。重要なのは、それらが避けられない問いを開くことだ。種子を所有するのは誰か、利用条件を決めるのは誰か、何が生産性と数えられるのか、約束された技術が機能しないとき誰がリスクを負うのか。ABC『Lateline』のシヴァへのインタビュー
だからこそ、エコフェミニズムの読解は「女性は生まれつき自然に近い」という単純な物語を退ける必要がある。シヴァは ABC のインタビューで、ケアの責任は「遺伝子にあるのではなく」、社会的な労働分業によって女性に負わされていると述べた。この区別は政治的な意味を持つ。女性が水、食料、森林、種子をめぐる闘いにしばしば現れるのは、ケアが生物学的運命だからではない。ジェンダー化された労働と資源への不平等なアクセスによって、環境の変化がまず日常生活に現れ、その負担は経済的損失として数えられるまで見えにくくされるからだ。女性の環境知を政治的な知として認めることは、環境修復の無限の責任を再び女性に負わせることとは違う。Bina Agarwal のジェンダーと環境をめぐる研究は、女性と自然の本質的な親和性を前提とせず、具体的な労働、資源へのアクセス、権力関係に着目するための対話相手になる。Agarwal, “The Gender and Environment Debate”
結論の「成長を超えて」という提案は、化石燃料をより環境に優しい商品に置き換えるだけではない。経済を、肥沃な土壌、確かな水、多様な食料体系、共有される知識、ケアのための時間といった、生命を維持する条件によって評価し直す要求である。一方、企業のグローバル化と地域の暮らしを大きく対比する議論は、そのまま完成した地図として受け取るのではなく、問い直す必要がある。地域共同体は、地域に根ざしているだけで平等になるわけではない。カースト、階級、ジェンダー、国家権力は、共有資源を誰が代表して語るか、誰が労働を担いながら決定権を持たないかを左右する。「地域の知」を美化して科学的な異論を消すべきでもない。問うべきなのは地域知と科学のどちらが抽象的に勝つかではなく、証拠の基準を誰が決め、誰の経験が聞かれ、進歩の名のもとに押しつけられる計画を誰が拒否できるかである。
資源を共同でどう統治するかを掘り下げるシヴァの『地球民主主義』、ジェンダー化された労働と生態的収奪をより広い政治経済の枠組みに置く『エコフェミニズム』とあわせて読むとよい。二冊と本書は、具体的な開発計画を検討するための問いを残す。誰が決め、誰が利益を得て、誰の労働が制度を支え、どの生命や未来が犠牲にされるのか。本ページの背景情報は Pluto Press の版紹介と目次、シヴァの公開講演・インタビュー、刊行された書評、女性主義環境研究を参照し、論点の接続と読書案内は FemRes の編集的解釈として提示している。
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