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真剣に!

フェミニスト安全保障研究 · 書物

真剣に!

原題Seriously! Investigating Crashes and Crises as If Women Mattered

著者Cynthia Enloe

金融危機、景気後退、平和維持、革命を追いながら、誰の経験が政策を動かす「真剣な」知識として扱われるのかを問うCynthia Enloeのフェミニスト分析。

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書評と読書案内

Cynthia Enloe の Seriously! Investigating Crashes and Crises as If Women Mattered は、「何が深刻な問題なのか」を決める権限そのものを問い直す。危機の議論では、銀行家、外交官、軍幹部、男性政治家の説明が専門知として採用される一方、家事労働者、女性工員、抗議に加わる女性、暴力を受けた人々の経験は後回しにされやすい。Enloe にとって「真剣に扱う」とは、女性を後から追加することではない。最初から誰の仕事、危険、知識が制度を支えているかを調べ、危機の原因と解決策の理解を組み替えることである。

本書はその方法を、著者自身への批判から始める。マレーシアをめぐる初期研究で、Enloe は男性にインタビューし、政治経済や紛争を書きながら、ジェンダーが双方をどう形づくるかを十分に問わなかった。女性が視野から抜け落ちただけでなく、男性もジェンダー化された行為者として見えていなかった、という振り返りである。続く章では、クラーク大学の初期女性学コミュニティと、Ximena Bunster らが学科長に申し立てた問題が描かれる。性差別やセクシュアル・ハラスメントを名づけることは、個人の不快感として処理されていた経験を制度の問題として認識させる。しかし名称だけでは解決しない。雇用契約、学科の権力、職業上の依存が、フェミニスト同士の連帯さえためらわせる。言葉を得た後に、手続き、連帯、説明責任をどう作るかが問われる。

第三章は「日常」を大きな政治の外側ではなく、その作動条件として読む。輸出工場で働く女性について、Enloe は賃金や職場規則だけでなく、帰宅後の家族責任、「よい娘」「立派な妻」であることへの期待、家庭内暴力の危険、夜の労組集会に出席できるかまで追う。こうした条件は、労働者がいつ、どこで組織できるかを左右する。工場を頻繁に移ることが継続的な連帯を難しくする一方、同僚同士の友情はどんな支えを生みうるのか。本書の視点は私生活を賃金闘争の代わりに置くのではなく、有償労働、ケア、尊敬可能性の規範、暴力が互いをどう支えたり妨げたりするかを一続きに分析する。

2008年の金融危機を扱う章も、単純な「女性を増やせば危機は防げた」という話ではない。Enloe はIMFの職場、投資銀行、各国の金融文化を行き来し、Karen Ho のウォール街民族誌などを手がかりに、長時間労働、リスク選好、短期利益、慎重さを女性的として軽視する職場文化がどのように報われたかを問う。DSK事件を契機に、IMF内部のジェンダー環境と権威の序列も検討される。ただし著者はジェンダー化された文化を金融崩壊の唯一の原因とはしない。規制緩和、金融制度、政策判断と併せて捉える。アイスランドは、ジェンダー格差が比較的小さくても金融バブルは起きうること、そして危機後の女性の組織的な動員が公共の応答を形づくりうることを示し、代表性だけで制度改革の代わりにはならないと教える。

「不況下の女性」は、政策がジェンダー分析を欠くと何が起こるかを追う。オバマ政権移行期に道路や橋を中心とした景気刺激策が検討されたとき、女性主義の研究者・経済学者・活動家は、男性が圧倒的に多い職種への投資が既存の職業分離を再生産すると指摘した。彼女たちの連携は、医療や教育を含む公共投資へ議論を広げる。さらに州・地方政府の削減は、女性の雇用と、仕事や生活を支える公共サービスの双方に影響する。英国の Fawcett Society による緊縮財政分析も、公共部門の縮小が労働者とケアの利用者に重なる影響を与えると示す。危機が起きてから統計を作るのでは遅い。性別・人種別データと、政策決定の短い窓に動けるネットワークを平時から持つ必要がある。また米国の「女性への戦争」を論じる際、Enloe は不況が女性嫌悪を生み出したとは主張せず、経済的不安が既存の性・経済的自律への攻撃を強めうる、と因果を慎重に限定する。

軍事主義と平和維持をめぐる二章は、「安全」を受け取る側から定義し直す。Cynthia Cockburn との対話では、女性が軍事化された役割に組み込まれる過程と、戦争を支える複数の男性気質をともに分析し、反戦運動も勝利の後まで内部のジェンダー階層の検証を延期すべきでないと論じる。続く Nadine Puechguirbal との対話は、2004年のハリケーン・ジーン後のハイチでの食料配給を例にする。女性は直接の受益者とされたが、配給の設計には参加できず、援助側は物資や配給所の安全を確保しても、そこへ向かう女性の危険を十分に考慮しなかった。性別で分けたデータの不足も、誰がどのような影響を受けたかを見えにくくした。「受益者」と意思決定者の距離は、保護を掲げる制度が実際に誰の安全を優先しているかを測る。

「エジプトの女性、フェミニズム、革命」は、歴史上のフェミニストと2011年革命期のエジプトの活動家が対話する、想像上の夕食会という異なる形式を採る。これは実際の会話記録でも、エジプト史の網羅的な記述でもない。革命に参加した女性が、権力再編の後に国家の象徴、受動的な有権者、あるいは動員される労働力へと矮小化される危険を考えるための構成である。街頭での可視的な参加だけでなく、憲法、政治的代表、セクシュアル・ハラスメント、家族法をめぐる難しい争いにも目を向ける。ムバラク退陣後に軍、選挙、宗教機関が力を再編するなかで、同盟を組む難しさと運動が取り込まれる危険が浮かぶ。叙述の時間軸は2013年初頭ごろまでであり、その後の展開を予言するものとして読むべきではない。

結論で Enloe は、何を「真剣」と認めるかを左右する人々を「見届ける者」と呼び、その判断を読者自身にも返す。ジェンダー別に分けられていない統計を完全なものとみなし、大規模な抗議をその後の憲法上の決定より重要と扱えば、私たちも同じ排除を再生産しかねない。FemRes からの読みどころは、危機を制度の数字だけで閉じず、日々の労働とケア、専門性を承認する職場文化、カメラが去った後に発言・組織・決定できる人まで追跡する実践にある。Enloe のBananas, Beaches and Basesと併読すると、日常を支えるジェンダー化された基盤と、危機・移行期の政治を見比べられる。これは FemRes が提案する比較読書の道筋であり、著者が指定した順序ではない。

2013年版のペーパーバック ISBN は 9780520275379、電子書籍 ISBN は 9780520956667。文集の章ごとの不均衡を指摘するのは Calkin の批評である。

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