
ラテンアメリカ・フェミニズム · 書物
性と革命:社会主義キューバの女性たち
原題Sex and Revolution: Women in Socialist Cuba
ロイス・M・スミスとアルフレッド・パドゥラは、キューバ革命が女性の教育、健康、雇用、家庭をどう変えたかを追う。国家主導の平等化が家父長制や無償ケアを解消しなかった点も検討する。
書評と読書案内
ロイス・M・スミスとアルフレッド・パドゥラは、革命期のキューバを二つの問いから考える。三十年にわたる社会革命は女性の暮らしをどう変えたのか。そして、キューバの経験は革命とジェンダー平等の関係について何を示すのか。1996年刊の本書は、女性を現代キューバ史の傍注ではなく、その歴史を説明する中心に置く。そのフェミニズム的な意義は、ひとつの緊張にもある。国家は教育、医療、雇用、家族サービスを政策の中心に据えられる一方、変革を担う制度が女性のニーズを定義し、女性が発言できる政治的条件を限定することもある。
本書の構成は、革命を単純な「前/後」の物語にしない。1959年以前の女性の暮らしとバティスタ政権への闘争から始まり、キューバ女性連盟(Federation of Cuban Women、FMC)を通じた革命への参加をたどり、女性が革命の議題に影響を与えようとする過程を扱う。1996年の詳細な書評でフアン・C・サンタマリナが指摘するように、著者たちは革命前のキューバを富裕層と極貧層だけに二分していない。女性の位置は人種、階級、出生地、宗教によって異なり、専門職、活動家、政治参加者もいた。この歴史的な基準点は重要だ。革命が介入したのは空白の社会ではなく、すでに形成され、内部にも差異のある不平等の構造だった。
キューバ女性連盟は、制度を考える本書の中心的な事例である。サンタマリナの詳細な書評によれば、この組織は女性が国家的な計画に参加し、影響力を得るための大衆的な経路をつくった一方、男性主導の革命体制の内側に位置していた。これは解放か取り込みかの二択ではなく、現実の政治的な両義性を示している。国家と結びついた組織は大規模な動員を可能にし、小規模な自律的団体だけでは難しい規模で医療、教育、雇用の資源を求められる。同じ結びつきが独自の議題を狭め、女性の参加を、別の権力中枢が定めた優先事項の実施へと変えることもある。問うべきなのは、FMCが抽象的に「本当にフェミニストだったか」ではない。制度へのアクセスはどんな時に女性の交渉力を高め、国家への依存はどんな時に異議や別の優先事項を持ちにくくしたのか、という問いだ。
本書はさらに、健康とリプロダクティブ・ヘルス、教育、1959~1980年および1980~1992年の女性雇用、職場での差別、保育、家族関係、セクシュアリティを通して、政治的な約束を日常の制度に照らし合わせる。これらのテーマを一緒に読むと、平等という標語が覆い隠しがちなことが見えてくる。仕事に就く機会があることと、ジェンダー化された労働から解放されることは同じではない。サンタマリナの書評は、女性が労働者として公的に称揚される一方、食事の準備、掃除、子どもの世話を担うことも期待されていたと述べる。公共サービスと雇用が拡大しても家事が主に女性へ割り当てられるなら、新しい経済は女性の労働に二重に依存する。賃金労働と家庭内労働の両方である。家庭は革命政治の外にある私的な付録ではない。革命の成果が誰に配分されるかは、そこで決まる。
時間の経過は、制度改革の意味も変える。書評者は、FMCが1960年代には活発で実験的だった一方、1970年代には官僚化し、1980年代にはさらに制約されたと記している。書評が要約する本書は、1989年にソ連の支援が終わった後の危機にも目を向ける。女性運動の提言能力と物質的資源は縮小したが、女性のニーズがなくなったわけではない。この経過は、政治改革の持続性を考える手がかりになる。経済が拡大する時期には政策が暮らしを改善できても、国の優先順位が変わる時に、女性が発言し交渉できる組織を維持できるかがより厳しい試金石となる。資源危機は以前の前進が虚構だったことを意味しないが、過去の前進が権利や自立した政治的発言を自動的に保証するわけでもない。
本書は歴史的な限界を意識して読む必要がある。1996年刊であり、サンタマリナの書評は、著者が資料不足、政治的に敏感なテーマ、調査の困難、曖昧または矛盾する統計に直面したと報告している。したがって、本書を現在のキューバ全体の説明とみなしたり、革命をめぐる議論の最終回答としたり、アフロ・キューバ系女性、クィア/トランスの生活、移住、異議申し立てに関する後年の研究の代わりにしたりすることはできない。これは本を退ける理由ではなく、研究条件のもとで誰が記録に残りやすかったのか、公式資料や出版物が誰の声を保存しているのか、後続研究がどこを補い批判するのかを考える理由である。全国的な女性団体に焦点を当てる視点には説明力がある一方、組織化されていない経験や体制に異議を唱える人びとを周縁化する危険もある。
フェミニズムの読者にとって、本書の価値は社会主義への判決ではなく、比較事例を示すことにある。大規模な公共投資が女性の機会を具体的に変えることと、制度上の参加だけでは家事や政治的権威の配分が変わらないことを、同時に考えさせる。二つの問いを並べて読むとよい。新しい自立を物質的に可能にした資源は何か。そして資源を国家が組織する時、誰が「平等」を定義する力を持つのか。この問いは、国家政策を理想化することも、改革が不完全だからといって構造的な変化を無意味とすることも避ける助けになる。
サンタマリナ、H-Net書評) 米国議会図書館『Handbook of Latin American Studies』書誌
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