
メディア表象批判 · 書物
好かれない女性キャラクター:ポップカルチャーがあなたに嫌わせたい女たち
原題Unlikeable Female Characters: The Women Pop Culture Wants You to Hate
Anna Bogutskayaの文化批評から、女性の反英雄、好感度の規範、観客の同一化を考える。複雑である権利は誰に認められるのか。
書評と読書案内
一人の女性が物語を支えるだけの存在感を持っていても、なぜ観客が彼女を好きにならなければならないのかと問われる。Anna Bogutskayaの『Unlikeable Female Characters』を読む入口は、その問い自体の不均衡にある。2023年にSourcebooksから刊行された本書は、映画、テレビ、ポップカルチャーの女性像を「好かれない」という不安定な分類から考える。映画批評家でありプログラマーでもある著者の仕事は、扱いにくい性格を診断することではない。ある女性への嫌悪が説明不要に思えるまでに馴染んでしまった、その見方の仕組みを問い直すことである。
好感が持てること、善良であること、人物造形が優れていることは、それぞれ異なる。魅力的な人物が他人を搾取することも、不快な話し方をする人物が不正を正確に指摘することもある。演技に引きつけられることは、行為への賛同とは限らない。この区別がなくなると、批評は「この女性と知り合いになりたいか」という相性診断に近づく。それも一つの楽しみではあるが、芸術を判断する基準としては狭すぎる。女性が物語の中心にいるためには、まず観客に心地よい親密さを提供しなければならないことになるからだ。
FemResがここから考えたいのは、好感度を支える義務の配分である。誰が発言前に相手を安心させなければならないのか。誰の野心には家庭への献身という証明が必要なのか。誰なら決断の説明を断っても、直ちに身勝手だと判断されずにすむのか。「面倒な女性」という評価は、感情的なサービスの要求を隠すことがある。女性は自分の行動だけでなく、自分の欲望が他人に与える居心地の悪さまで引き受けさせられる。他人の快適さが中立的な評価基準に置き換わる瞬間を見逃してはならない。
映画の形式も、この判断を組み立てる。一方の人物には孤独、弱さ、冗談、視点が与えられ、もう一方はその人物を遮るときに主に登場する。その結果生まれる苛立ちは自発的に感じられるが、物語が配分した親密さにも導かれている。観客が受動的だという意味でも、否定的な反応がすべて女性嫌悪だという意味でもない。誰の視点が初めから当然のものになっているのかを検討する必要があるということだ。男性主人公に与えられた説明や迷いを彼女にも与えたら、同じ衝突はどう見えるだろう。
ただし、女性が複雑な人物である権利を認めることは、その加害を自動的に解放へと読み替えることではない。二重基準への反対は、別の免責をつくる理由にはならない。家庭で従属を拒む女性が職場では弱い立場の人を搾取することも、性的な自律と残酷さが同居することもある。生き延びる選択が、資源の少ない他者へ負担を移す場合もある。必要なのは、実は善人だったという物語で矛盾を解消することではない。彼女の事情を理解しながら、傷つけられた側を画面から消さない読み方である。
人種と階級によって、複雑さへの権利はさらに不均等になる。欠点まで個性として扱われる女性がいる一方、集団全体を代表させられる女性もいる。前者の冷酷さが華やかな独立性として映るのに対し、後者の怒りは既存の偏見を裏づける証拠にされかねない。女性の反英雄を増やすだけでは十分ではないのだ。誰が不完全であっても、似た立場の人々まで裁かれずにすむのか。Patricia Hill Collinsによる支配的イメージの分析や、Kim Hong Nguyenの『Mean Girl Feminism』との併読は、辛辣さそのものを解放と取り違えないために役立つ。
市場は反抗を態度の商品に変えやすい。気の利いた反撃、高価な服、誰にも説明しない女性という像は、快感を与えても、労働やケアの配分を変えるとは限らない。従来の支配の夢の主役を女性に入れ替えるだけでは、集団的な自由は生まれない。しかし、あらゆる鑑賞の喜びに政治的な有用性を証明させるのも、別の道徳的監視になる。楽しみながら問い続けることが必要であり、快感と評価のどちらか一方を消す必要はない。
感情が見えることと、その感情が世界を説明する力を持つことも違う。怒りは迫力のある映像になっても、その歴史を与えられないことがある。欲望は可視化されても、同意や選択の条件が描かれないことがある。人物が多く語っていても、場面の問いを変えられるとは限らない。だから強い女性の人数を数える以上に、誰が対立を名づけるのか、結末に誰の理解が残るのか、選択の結果が考察されるのか、それとも秩序の回復に利用されるだけなのかを問いたい。
本書を女性経験の万能な分類表や、映画のフェミニズム適合証明として使うべきではない。英語圏のポップカルチャーを軸にした議論は、他の言語、ジャンル、社会的位置からも検討する必要がある。同じ侮辱語でも、その歴史は一様ではない。本ページは出版社の資料と著者の公開発言を踏まえたFemResの編集的考察であり、全章の要約や全書の代替ではない。また、日本語の書名は案内のための訳題であり、日本語版の刊行を確認したという意味ではない。
BFIの企画解説から著者インタビューへ進み、『ジェニファーズ・ボディ』を見直してみたい。目標は全員に同じ女性を好きになってもらうことではない。判断を精密にするだけの時間を彼女に与えることだ。賞賛できなくても理解する価値はあり、理解することは彼女が傷つけた人への責任を放棄することではない。
刊行情報:Sourcebooks。著者・調査資料:著者公式サイト、The Quietusのインタビュー。
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