フェミニスト安全保障研究 · 研究
防衛知識人の合理的世界における性と死
Sex and Death in the Rational World of Defense Intellectuals
Carol Cohnの参与観察から、米国の核戦略をめぐる婉曲表現、性化された比喩、家庭的なイメージが、大量破壊を技術的で管理可能な理性として見せる仕組みを読む。
研究ガイド
Carol Cohn の「防衛知識人の合理的世界における性と死」は、戦略を語る言葉そのものを核安全保障の分析対象にする。彼女が問うのは核兵器や政策だけではない。大量破壊を技術的課題として語ることが可能になる専門家の世界は、どのように作られているのか。題名の「性」と「死」の並置は、単なる逆説ではない。性化されたイメージと死の脅威を通して、戦略知が一部の人に「合理性」を定義する権威を与える一方、結果を引き受ける人々を議論から後景化させる過程が見えてくる。
方法そのものが論点の一部である。Cohn は1984年、大学教員48人(うち女性10人)が参加する核兵器の研修に出席し、その後、米国の防衛技術・軍備管理センターで一年間、参与観察を行った。講義や議論を聞き、分析者と話し、訓練の異なる段階にいる大学院生にも聞き取りをした。重要なのは、彼女が影響を受けない外部の審判者として自分を置かなかったことだ。専門語を学ぶうちに、自分自身もどうしてこのように考え始めるのかを問うことになる。この自己省察によって、論文は刺激的な用語のカタログではなく、制度の思考習慣がどのように身につき、観察者さえ変えていくのかをたどる分析になっている。
第一の仕組みは抽象化だ。Cohn は「クリーンな爆弾」「限定核戦争」「付随的損害」といった表現を取り上げ、大量死を境界づけられ、浄化され、管理可能な事柄のように記述する働きを読む。彼女は専門家一人ひとりが冷淡だと言っているのではない。問われるのは、語彙が戦略の議論を、兵器が作用する身体、痛み、破壊された場所から切り離す過程である。標的、交換、兵器の生存性を計算するうちに、兵器の生存のほうが人間の生存より式に載せやすくなる。「クリーン」という形容が示すのは、核攻撃を清潔にできるからではない。文の中で人間の現実を目立たなくできるからだ。
性化された比喩も、この言説環境を形作る。Cohn は兵器や戦略をめぐる貫通、硬さ、放出のイメージを記録する一方、それを発言者個人の内面の動機を読み取る透明な診断として扱うことを明確に避ける。代わりに、文化に広く存在するイメージが何をするのかを問う。技術的暴力を支配力、効力、競争上の達成として演出し、ジェンダー化された権威を政治的なものではなく自然なものに見せるのか。この区別は重要だ。核政策を個々の男性の心理に還元しなくても、専門性と権威が男性化された慣習を通じて演じられることは分析できる。
家庭的なイメージへの注目によって、論文の読みはさらに複雑になる。Cohn は、潜水艦でミサイルを保管する区画が「クリスマスツリー農場」と呼ばれたこと、また「再突入体(reentry vehicles)」が「RV」と略され、レクリエーション用車両を連想させることを取り上げる。こうした呼び名は兵器システムをおとなしく、身近で、時には遊びのように感じさせる。Cohn はそれを無害な言葉遊びではなく、日常の理解を超える力を飼いならす働きとして読む。そこには不穏な逆転が生じる。兵器が物語の生き生きとした行為者になる一方、人間は数字や「付随的な影響」、あるいは不在の聴衆として現れかねない。女性主義的な問いは、比喩が性差別的かどうかだけではない。機械が身近になり、結果が遠のくとき、誰の脆弱さが視界から消えるのかという問いである。
専門家の言葉を学ぶことは、略語を知識に付け足すだけではない、とCohnは論じる。暗号を操る楽しさや仲間内の資格意識は、実際には制御できない危険を理解し、管理しているかのような感覚を生む。注意は言葉の背後にある現実よりも、コードを流暢に使えるかどうかへ向かう。この過程は女性にも男性にも、核兵器の支持者にも反対者にも及びうる。だから彼女の政治的ジレンマは鋭い。専門用語を拒めば、批判者は「関連性がある」と認められる議論の外に置かれるかもしれない。学べば、言えることが狭まり、自らの思考まで変容する可能性がある。彼女は簡単な処方箋を示さず、戦略言説が政策決定を説明しているのか、それとも別の理由で決まった結果を正当化していることが多いのかも問い直す。
これは1980年代の米国の核安全保障専門家文化に根ざした研究であり、あらゆる軍事機関の代表例でも、言語だけが政策を生み出すという主張でもない。Cohn自身、これを分析の出発点と位置づける。今日この論文を読む価値は、方法にある。組織的暴力を合理的に見せる比喩、分類、慣習に耳を澄ませ、どの身体と知識が編集によって外されたのかを問うことだ。『Signs』誌の掲載記録と、Cohnのカリフォルニア大学サンディエゴ校 eScholarship Working Paper No. 8をあわせて読むとよい。前者は1987年刊行の論文情報、後者は1987年の会議に関連し、1988年に刊行されたワーキングペーパーである。FemResは、シンシア・エンローのManeuvers: The International Politics of Militarizing Women’s Livesとの比較読書も勧めたい。核戦略の言語から、軍事化を支えるジェンダー化された制度や日常の関係へと視野を移せる。
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