先住民フェミニズム · 上映
Lorena Cabnal――身体、土地、コミュニティ・フェミニズムの癒やし
Maya Q’eqchi’ と Xinka のフェミニストでありヒーラーでもある Lorena Cabnal が、身体の自律と土地の防衛を集団的な癒やし、女性の政治的行為につなぐ。
鑑賞ノート
Lorena Cabnal とのこの対話は、2019 年にコルドバで開かれた、女性と領土的不正義をめぐる CISCSA の集まりで記録された。Cabnal は「コミュニティ・テリトリアル・フェミニズム祖先的治癒者ネットワーク」のメンバーであり、Iximulew――彼女がグアテマラを指して用いる呼称――と、自身の Maya Q’eqchi’ および Xinka の女性としての経験から語る。短い映像ながら、彼女の仕事を貫く問いが浮かび上がる。領土への政治的暴力は、身体を通じてどのように経験されるのか。
「身体—領土」という概念は、詩的な同一視ではなく関係性を示す。土地の収奪と身体の統制は、誰が居住し、決定し、資源を採り、ケアを担うのかを規定してきた植民地主義と家父長制の歴史を通じて結びつく。この視点は、女性への暴力を土地の収奪や生活を支える条件の破壊から切り離して考えることを拒む。ただし、土地を身体の比喩にしてしまうわけではない。コミュニティ、土地、身体にはそれぞれ異なる歴史と葛藤がありながら、複数の尺度に働く支配が互いを強めることがある。
ここで癒やしは集団的な政治実践として現れる。不正義に適応するための個人療法でも、物質的な正義の代替でもない。祖先的治癒者のネットワークは、知識と共同体の結びつきを通じて暴力が残した傷に寄り添いつつ、その傷を生み出す構造を問い続ける。ケアは生命と運動を支えると同時に、ケアを女性の自然な性質とみなし、無限に利用できる資源のように扱う発想にも異議を唱える。
この提案を普遍的な処方箋にしたり、「祖先の知恵」を無条件に称揚したりするべきではない。先住民族の知は現在のものであり、多様で、議論を伴う。その力は理想化に依存しない。この対話が促すのは、運動が領土防衛、身体の自律、ケアのネットワークをどう結びつけるか、そして共同体内部の差異を消したり、外部の人が代弁したりせずに実践できるかという問いだ。ラテンアメリカの先住民女性の自律に関する地域報告や、地域の異なる政治的系譜を扱う論集運動するフェミニズムとあわせて読みたい。
対話と背景
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上映後の対話
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