障害正義 · 論考
醜さへ向かう:望ましさを超える政治
要旨
Mingus は disability justice から、美、正常性、望ましさが身体の価値をどう組織するかを批判し、醜さへ向かう解放の政治を提示する。
FemRes / 2011年8月22日
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記事解析
「醜さへ向かう」は、ミア・ミンガスが2011年のFemmes of Color Symposiumで行った基調講演に由来する。クィアで障害のある韓国系の国際・異人種養子女性として、彼女は急進的な共同体さえ「望ましさ」を承認の条件にしていないかと問う。周縁化された身体も「美しい」と言い直すだけでは、美、健常性、消費、性的な読みやすさが人間の価値を裁く構造は残る。
ここでいう「醜さ」は固定された人間類型でも、侮辱を称賛する命令でもない。震える、よだれを流す、介助を要する、時間がかかる、空間を占める、生産的で洗練された姿に整えられない身体など、支配文化が追放してきたものを指す。ミンガスは障害者差別を白人至上主義、ジェンダー規律、資本主義、医療化、植民地主義と結び、魅力ではなく生存、尊厳、実用、抵抗から「壮麗さ」を考える。
この議論は、判定を「醜い」から「美しい」へ反転するだけのボディ・ポジティブ言説を越える。美に近づくことが生存戦略になり、拒絶には危険が伴うことも認めるため、醜さを新たな道徳義務にはしない。障害正義、クィア・オブ・カラー批評、ファット・ポリティクスと併読すると、運動の代表性だけでなく、速度、空間、指導権、美学、欲望を点検する基準になる。誰が魅力的で理解しやすく、介助しやすい存在になって初めて所属を許されるのか、という問いが残る。
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