
フェミニスト安全保障研究 · 書物
グローバル紛争のジェンダー化
原題Gendering Global Conflict: Toward a Feminist Theory of War
Laura Sjoberg は、ジェンダーが戦争の定義や戦略、政治的な物語、暴力にさらされる人々の経験をどう形づくるかを論じる。
書評と読書案内
Laura Sjoberg の『グローバル紛争のジェンダー化――フェミニスト戦争理論に向けて』(Gendering Global Conflict: Toward a Feminist Theory of War)は、戦争研究に女性が登場するかどうかだけを問う本ではない。ジェンダーが戦争の意味と実践をどう組織しているかを問う。国際関係論はしばしば、国家を自律的で合理的な行為主体として描き、感情、ケア、家庭生活を「本格的な政治」の外に置く。Sjoberg にとって、こうした境界そのものが説明の一部である。誰が信頼できる政治主体と見なされるか、何が安全保障に数えられるか、どの暴力が戦争として認識されるかを、その境界が左右する。ジェンダーは完成した理論に後から加える変数ではなく、理論が何を見られるかを形づくる。
議論は意図的な順序で展開する。まず、ジェンダーがないように見える戦争研究を問い直し、無政府状態、構造、国家、個人、政治的選択をめぐる国際関係論の議論にフェミニズムの視点を接続する。その後、ジェンダー化された戦略、戦術、戦争の経験へと進む。学問が戦争を説明するために使うカテゴリーから、戦争の名のもとに行われる決定、さらに紛争を生きる人々へと、分析の焦点が移っていく。フェミニズムを単一の学派として提示せず、複数の伝統を対話させながら、主流の戦争研究が排除してきた知を問う構成だ。
分析の諸レベルは、原因を別々の箱に入れるための区分ではない。国際システムにおける無政府性や自律性の想定は、どの国家行動が合理的に見えるかを左右する。国家レベルの統一や保護も中立的な説明ではなく、個人の選択や感情もジェンダー化された規範を通して意味づけられる。Sjoberg はそれらをつなぐ。自立を掲げる国家が公式な自己像の外に置く家庭や職場の関係に依存するなら、家庭は国際政治からの寄り道ではなく、国家権力が作られ、正当と認識される条件の一つとなる。「既存の戦争史に女性を加える」だけでは足りず、その物語の境界がどう作られるかを問う必要がある。
戦略と戦術を扱う章では、この方法が具体化する。よく知られた戦争の物語は、男性を戦略家や戦闘員として描き、女性を背景、被害者、あるいは象徴に置きがちである。Sjoberg は、その語りが分析に及ぼす影響を問う。男性性と結びつけられた行為は標準として扱われ、軍事判断に潜むジェンダーの前提は見えにくくなる。さらに、女性が敵対する国家や共同体の標識として攻撃対象になりうる一方、女性や女性化された存在の保護が戦争を正当化する言説にもなりうることを論じる。女性を単なる象徴や受動的な被害者に還元するのではない。政治がジェンダーの意味を動員し、それが身体や選択にどう作用するかをたどるのである。
ここから一つの問いを立てられる。ジェンダー分析は、戦争に参加する女性と男性の数を数えることには還元できない。制度がある行為を合理的で強いもの、別の行為を感情的で依存的なものと位置づけ、その価値を国家、政治的行為者、保護が必要だとされる人々に結びつける仕組みを調べる。ケアが誠実か、単なる宣伝かを判定するのではなく、誰が危険を定義する権限を得るのか、保護される人が自らの安全上の必要を語れるのか、保護の物語がどれほどの行動の余地を残すのかを問いたい。そうすれば、女性を受動的な被害者とする単純な像を別の固定観念に置き換えずにすむ。
「ジェンダー化された戦争を生きる」章は、分析を開戦の決定や戦闘の進行から、紛争が日常に入り込む過程へ広げる。家庭、職場、親密な関係は、国際政治と無縁な私的領域ではない。労働、ケア、感情、脆弱性は国家を支え、人々の戦争経験を形づくる。2016年の H-Diplo/ISSF の討論では、評者たちが、戦争を例外的で閉じた出来事とみなす発想への本書の批判を取り上げている。後半の議論は、戦争を生きる経験をより広い暴力や不安全と結びつける。したがって問われるのは「軍隊に女性がいるか」だけではない。誰の経験が戦争の証拠とされ、分析が戦場や停戦で終わると、どの被害が記録から消えるのか、という問題でもある。
この野心は、建設的な論争も生む。Jessica Trisko Darden は、ジェンダーが戦争研究全体に関わると示すだけで、異なる紛争理論にその洞察をどう組み込むかまで明確になるのかを問う。一方、Lauren Wilcox は、フェミニズム研究と従来の学術をつなぐ本書の役割を評価する。Sjoberg 自身の応答によると、当初は理論章に実証研究を組み合わせ、戦争・安全保障・平和をそれぞれ論じる構想だったが、刊行版は戦争の理論化に焦点を絞り、他の紛争形態より国家間戦争を重く扱う。この点は本書を退ける理由ではなく、副題の「Toward(〜に向けて)」を慎重に読む理由になる。大きな理論的構想を提示する本であり、あらゆる政治的暴力に適用できる最終モデルや、網羅的な実証研究の目録ではない。
読書の際は、よく知る紛争の報道を一つ選び、誰が決定を下すのか、誰が保護者/保護される者とされるのか、国家の力をどんな労働が支えているのか、誰の経験が記録から抜けているのかを書き出してみたい。ジェンダーを「女性」の言い換えにせず、権力を分析する方法として使える。より短い入門書から始めるなら、Sjoberg の Gender, War, and Conflict もあわせて読める。本書は、戦争そのものがどのように理論化されるかへ、より深く踏み込む。
出典と批評的議論:コロンビア大学出版局の紹介と目次、JSTOR の書誌情報と章の抜粋、Sjoberg 自身の応答を含む H-Diplo/ISSF の討論。
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