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「男性の娘」と「女性の夫」――あるアフリカ社会のジェンダーと性

アフリカ・フェミニズム · 書物

「男性の娘」と「女性の夫」――あるアフリカ社会のジェンダーと性

原題Male Daughters, Female Husbands: Gender and Sex in an African Society

著者Ifi Amadiume

イフィ・アマディウムがナイジェリア南東部のイボ系ヌノビ社会を通して、親族、相続、富、母性、植民地制度がジェンダー役割と女性の権威をどう形づくるかを考察する。

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書評と読書案内

Ifi Amadiume『Male Daughters, Female Husbands』は「アフリカのジェンダー」を一般論として語る本ではなく、ナイジェリア南東部のイボ系コミュニティ、ヌノビを中心とする歴史・民族誌研究である。親族関係、相続、婚姻、政治的権威が身体の性と一対一に対応しないとき、「男性/女性」だけで社会制度を説明できるのか――本書はこの問いを突きつける。題名の「男性の娘」「女性の夫」は奇抜な呼称ではない。娘、息子、妻、夫という位置が、血統、義務、資源、共同体による承認を通じて作られることに読者の注意を向ける。

場所と時代を押さえることが欠かせない。イェール大学の人間関係領域ファイル(eHRAF)の書誌要約はヌノビを調査地とし、1980〜82年のフィールドワークを記録している。また、書物の議論を植民地化以前、植民地期、独立後に分けて整理する。出版社と書誌記録によれば、原著は1987年刊行で、ここに掲載するのは2015年版である。章立ては経済生活、女性の富と称号、政治組織、母性とイデオロギー、儀礼、そして植民地支配による女性の権力の変化へと進む。つまり本書は単に「ジェンダーの流動性」を唱えるのではなく、役割がどの制度の中で意味を持ち、歴史の変化でどう変わるかを問う。

二つの題名上の位置は、それぞれ異なる制度的問いを示す。「男性の娘」は女性が血統や相続の中で占める位置に関わり、「女性の夫」は女性が婚姻・親族制度を通じて承認された関係や権威を築くあり方に関わる。女性が「夫」と認められたからといって、現代の分類で必ず男性、レズビアン、あるいは特定の性的アイデンティティだとは言えない。「男性の娘」をそのまま今日のトランスジェンダー概念に置き換えることもできない。身体の性、社会的役割、親族上の関係、財産、セクシュアリティ、政治的権威は関係し合うが、同一のものではないからだ。

女性の権威についての議論も、抽象的な称賛ではなく制度に即している。Joanna R. Schacter の2015年書評は、女性が富や称号を得ること、イドエミリに結びついた儀礼上の権威、そして書評者が女性間の婚姻として説明する igba ohu を取り上げる。誰が資源を管理し、称号を得て、親族関係を築き、儀礼や公共生活で権威を認められるのか――こうした具体的な問いが「女性の力」を見えるものにする。ただし、それはすべての女性が平等に権力を持ったことを意味しない。血統、富、年齢、生殖上の位置、共同体の承認は役割へのアクセスを左右し、女性同士の差異や競争も生みうる。

植民地期を扱うことで、議論は歴史的かつ論争的になる。Amadiume は植民地行政、キリスト教宣教、新しい経済・政治制度が、権威、親族、ジェンダーを理解する条件をどう変えたかを問う。慣習が植民地法に書き換えられ、行政が男性の代表者を求め、教育や経済機会が再編されると、別の関係に支えられていた女性の権威が公的制度から見えにくくなる可能性がある。しかし「植民地主義が平等な社会を一度に破壊した」と単純化してはならない。植民地化以前の制度にも階層や対立はあり、変化は特定の時期、制度、地域の人々の行為を通して捉える必要がある。eHRAF の要約、Schacter の書評、出版社の説明は導入として有用だが、個々の因果関係を独立に証明するものではない。

本書はフェミニズムやクィア理論に新しい比較の道具を与える一方、慎重な読みも求める。欧米のジェンダー分類を普遍的な尺度として投影することに異議を唱えるが、ヌノビを「植民地化以前のアフリカにはジェンダー階層がなかった」という証拠にすれば、特定の歴史を再び抽象化してしまう。後年の論考で Heidi Hudson は、ジェンダーと社会的役割を結びつける前提を問い直す点を評価すると同時に、文化差を固定化する危険、年齢と権力への注意不足、単一事例からの過度な一般化をめぐる批判も紹介している。これは一文で本書を断定する材料ではなく、検討を続けるべき論点である。代名詞に性別標識があるかどうかだけで権力の有無は決められず、制度、資源、役割を定義する権限も調べなければならない。

本書はアイデンティティの用語集ではなく、比較の方法として読むのが有効だ。ある社会的位置がどのような親族、財産、労働、儀礼、政治関係から成るのかを問い、その位置が誰に権威を与え、誰を排除するのかを続けて考える。Oyèrónkẹ́ Oyěwùmí『The Invention of Women』と並読する場合も、異なる場所・言語・歴史を結ぶ方法論的対話として読むべきだ。一方はヌノビのイボ系社会、もう一方は Òyó–ヨルバの経験を扱う。両者は単一の「アフリカ型」の証拠として交換できず、並読は著者間の影響関係を主張するものでもない。

関連資料・出典:出版社・版の記録 · eHRAF 民族誌カタログ要約 · Schacter の2015年書評 · Hudson の議論(2018) · 刊行30年の回顧特集(2017) · 後続特集の序論(2021) · 比較読書:『女性の発明』

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