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脱植民地フェミニズム · 研究

ムスリム女性は本当に救われる必要があるのか

Do Muslim Women Really Need Saving? Anthropological Reflections on Cultural Relativism and Its Others

ライラ・アブー=ルゴドはアフガニスタン戦争の救済言説を問い、文化的差異と世界的不正義への責任を結ぶ。

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研究ガイド

女性の自由が戦争の正当化に使われるとき、誰が行為者となり、誰が救済を待つ像になるのか。ライラ・アブー=ルゴドの2002年の論文は、「対テロ戦争」と米国のアフガニスタン介入をめぐるジェンダーの修辞を検討する。『American Anthropologist』掲載の文章であり、2013年の関連著書とは別の作品である。具体的な歴史と政治の関係が、文化を象徴する一つの像に置き換えられることを問う。

衣服から歴史は説明できない

政治危機を統一的な文化に帰せば、戦争、国家政策、経済関係、女性間の違いは背景へ退く。ベールを脱ぐことを解放の証拠にすると、複雑な生活の必要が服装へ縮められる。ベールの意味は具体的な社会関係によって異なり、一枚の写真から共通の答えを読み取ることはできない。

これは、どんな慣行も批判できないという主張ではない。解放が特定の西洋的主体に似ることとして先に決められ、女性自身の望み、信仰、人生計画がその尺度で試されることが問題なのである。異なるよい生の構想を認めることは、着用の強制にも脱衣の強制にも同意することではない。外から選ばれた像で、その人の歴史や行動を代用しないということだ。

救済もまた階序を作る

論文は現代の修辞を植民地支配と宣教の歴史へつなげる。沈黙する女性の代わりに語るという姿勢は、彼女たちを自分の状況を理解し変えられない人として描き続けうる。救う側は世界の外に立ち、自国の政策、軍事力、資源配分への責任を問われずに済む。苦しみは見えるが、それを生む関係は切り離される。

著者が提案するのは、具体的な女性とともに公正な条件を求め、自分の制度が不正義にどう関わるかを点検することである。介入による救済か、文化尊重による不介入かという二択より難しい。文化を万能の説明にせず、差異を連帯放棄の理由にもしない方向である。

これは状況に即した人類学的・政治的批判で、すべてのムスリム女性を調査した統計ではない。外部の救世主を批判することは、宗教的強制、国家暴力、家庭の支配に抵抗する現地女性を聞くことの代わりにならない。外部勢力に利用されうるからと、彼女たちの要求を再び沈黙させてはならない。

ベヌーンの原理主義に抵抗する人々の講演はこの緊張を具体化し、モハンティの「西洋の眼のもとで」は単一の第三世界女性が知識によって作られる過程を問う。連帯を、観察者に好都合な像ではなく具体的な人と責任へ向ける読み合わせになる。

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