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アメリカ大陸のフェミニズム

ラテンアメリカ・フェミニズム · 書物

アメリカ大陸のフェミニズム

著者Katherine M. Marino

Katherine M. Marino は、ラテンアメリカとカリブ海地域のフェミニストたちが国際的な女性の権利を形づくった歴史を描き直す。指導権、労働、反帝国主義、社会正義をめぐる対立が汎米組織と国連憲章をどう変えたかを追う。

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書評と読書案内

Katherine M. Marino の『アメリカ大陸のフェミニズム』は、国際フェミニズムの地図を描き直す。ラテンアメリカとカリブ海地域の活動家は、他の地域で生まれた思想を遅れて受け取ったのではない。女性の権利を国際的な課題にするうえで、彼女たち自身が政治思想を生み出した。ノースカロライナ大学出版局の書籍紹介が本書の中心人物として挙げるのは、ブラジルのベルタ・ルッツ、キューバのオフェリア・ドミンゲス・ナバロ、ウルグアイのパウリナ・ルイシ、パナマのクララ・ゴンサレス、チリのマルタ・ベルガラ、そして米国の活動家ドリス・スティーヴンスである。戦間期のネットワークは、参政権を同一賃金、母性保護、民族自決へ、さらに広い社会権・人権へと結びつけた。マリノの意義は、既知の物語にラテンアメリカの名前を加えるだけでなく、彼女たちが運動の制度と政治語彙そのものを変えた過程を描いた点にある。

本書は「汎米フェミニズム」を、対立のない地域的なシスターフッドとして描かない。意見の違いはラテンアメリカの活動家同士の間にもあった。Allison B. Wolf は『Hypatia』の書評で、ルイシとルッツが運動の指導権をめぐって異なる構想を持っていたと述べる。ルイシはスペイン語圏のラテンアメリカ女性が主導すべきだと考え、ルッツはブラジルと米国を中心とする連携を支持した。ゴンサレスとドミンゲス・ナバロは、米国の主導権だけでなく、規模や国力の大きなラテンアメリカ諸国が西半球を代表するという考えにも異議を唱えた。これは象徴的な地位争いではない。誰が指導するかによって、どの言語や国の経験が「普遍」とみなされ、どの要求が会議の議題に入り、どの政治課題がフェミニズムとして認められるかが変わるからだ。

1928年に設立された米州女性委員会(IACW)は、こうした力関係を具体的な制度の場にした。スティーヴンスは参政権と平等権条約を重視したが、多くのラテンアメリカの組織者は、働く女性が経済的依存、国家暴力、独裁、米国の帝国主義的影響を受けている以上、法的平等だけでは狭すぎると考えた。Wolf がマリノの該当章を整理するところでは、委員会内部にも参加を左右する物質的な障壁があった。スティーヴンスは幹部人事を握り、ラテンアメリカ側の委員が会合に出席するための旅費を出さなかったという。これを個人的な対立だけに還元すると、政治的インフラをめぐるフェミニズムの問いを見失う。誰が会議に参加し、議題を決め、要求を条約へ変えられるのか。

マリノが描く応答の一つが「実践的フェミニズム」(feminismo práctico)である。これは市民的・政治的権利を、社会的・経済的正義、地域での組織活動、独裁や帝国主義的介入への抵抗へと広げる。「実践的」は穏健、あるいは単に現実的という意味ではない。女性が実際にどのように暮らし、働くのかを基準に政治的要求を検証する立場だ。条約に書かれた権利と日々の自由の隔たりが、ここで中心的な問題になる。形式上の権利は重要だが、人々が組織をつくれず、生計を立てられず、安全に移動できず、国家権力に異議を唱えられないなら、その約束は薄い。

マルタ・ベルガラの戦略は、連帯に政治的純粋さや事前の全面合意が必要とは限らないことを示す。ベルガラは1935年、チリ女性解放運動(MEMCh)の創設に関わり、女性の要求を反ファシズムとより広い社会闘争につなぐ人民戦線型フェミニズムを推し進めた。Wolf によれば、スティーヴンスの指導方法や条約中心の狭い議題に不満を抱きながらも、より大きな目的に役立つ場合には彼女との連携を戦略的に利用した。これは「何があっても団結する」こととも、原則を理由に最初から分かれることとも異なる、より負荷の高い連帯である。組織者は関係を築き、その条件を争い、地域の運動に何をもたらせるかを見極めなければならない。

第二次世界大戦期には、要求の範囲が広がる過程がよく見える。ラテンアメリカのフェミニストたちは、母性保護の立法、労働者の権利、社会的・政治的権利、人種平等、戦後の女性失業への対策を含む、より広い人権観を主張した。「女性の権利」から「人権」へと語彙を広げることは国際的な連携を可能にする一方、制度が抽象的な協力だけを残せば具体的な社会改革を弱めることもある。マリノの歴史は、公式文書に何が書かれたかだけでなく、政府や機関が議題を定める際に何を外したのかを問う。

1945年のサンフランシスコ会議では、ラテンアメリカのフェミニストたちが、男女平等の権利を国連憲章の前文と目的に盛り込み、国連機関における女性の平等な代表を支える文言を入れることに貢献した。ルッツとその仲間たちは、女性の地位委員会の設置にも重要な役割を果たした。こうした制度上の成果は、寛大な外交官が最後に与えたものではなく、長年の組織活動によって築かれたものだ。それでも、国際的な承認と実効性のある変化には距離がある。憲章は基準を設け政治的な足場をつくれても、各国がそれを守る保証にはならない。権利の言語を形づくった女性たちはその後、支配的なフェミニズム史から周縁化されていく。マリノはその忘却を、歴史記憶をめぐる政治や、社会権を警戒した冷戦の潮流と結びつける。

現代の読者にとって、本書の重要な教訓は、国際的連帯を掲げられた理想だけでなく、その組織構造によって評価することだ。誰が機関を支配し、参加費用を負担し、共通語を選び、普遍的な要求を定義するのか。米州女性委員会の歴史は、性差別に反対する運動でさえ、自らの組織内に帝国的な階層を再生産しうることを示す。一方、著名な六人の活動家と公式機関に焦点を当てる本書が、西半球の先住民、アフリカ系、農村部、労働者階級のフェミニズムをすべて代表するわけではない。この範囲は、地域政治の完全な一覧ではなく、さらに歴史を掘り下げる出発点として読むべきだ。

チャンドラ・タルパデ・モハンティの『境界なきフェミニズム』と合わせて読むと、マリノの制度史は理論的な問いに具体的な手がかりを与える。差異を階層に変えず、また差異を分離の口実にせず、国境を越えた政治をどう築くのか。二冊はともに、連帯を感情ではなく、説明責任を伴う連合づくりとして捉えるよう促す。その実践は、誰が共通の議題を形づくり、それが誰の物質的な必要に応えるのかを問い続ける。

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