FemRes成長し続けるレビュー

家事労働 · 研究

女中を通して見出された女工労働環境問題

家事使用人の紹介をめぐる四通の書簡から、らいてうの執筆と活動、家庭の必要、女工問題への関心をたどる歴史研究。

論文を読む
この資料を共有
X ↗Facebook ↗

01

研究ガイド

フェミニストが書き、組織する自由は、別の女性の不安定な雇用に支えられることがあります。差波亜紀子の研究は、平塚らいてうの家庭と女工への関心を通じて、その関係を見えるようにします。何かを暴いて思想全体を否定することでも、改革者は良い雇用主だったと安心することでもありません。思想だけの歴史が背景に置きがちな労働、ケア、不均等な権限の中へ、政治的な考えを戻す論文です。

2025年3月の『大原社会問題研究所雑誌』797号24〜32頁に掲載され、1922年秋から1923年4月の四通の書簡を紹介し、以前の公表された評論と関連づけます。家事使用人を紹介した仲介者とのやり取りと、その女性の帰郷を扱います。方法は書簡と関連史料の歴史的解釈であり、家事労働者の代表的調査や、母性保護政策の効果を検証する研究ではありません。

一つの家庭が複数の職場を結ぶ

差波は、らいてうの仕事の実際の条件から始めます。育児、病気の伴侶の看護、執筆による生計が同じ時間を必要としました。家事使用人が必要な仕事を担っても、その労働が社会生活から消えるわけではありません。別の女性の健康、報酬、働ける時間が、書き手の公的活動の条件になる関係が生まれます。家庭もまた女性運動史の職場なのです。

論文は、工場勤務の経験がある家事使用人との、それ以前の出会いもたどります。その経験が、工場の労働条件と、女性を工場へ送り出す農村の生計への関心につながります。女性が同じように受け入れられる職業の間を自由に選ぶという図式では捉えきれません。工場、農業、家庭の間の移動は、独立へ進み続ける道というより、病気や家族の必要、限られた生活手段による場合があります。

健康は、配慮と排除が交わる場所です。らいてうは広い労働問題を認識すると同時に、家族を守るため病気の使用人を解雇しました。以前の結核の事例は、後の書簡の「てるちゃん」と分けなければなりません。後者の長引く咳や働き具合は雇用主による記述であり、医学的診断ではありません。病気が支援の必要と失職の理由に同時になる仕組みが、分析すべき問題です。

解雇を説明する書簡は誰の立場にあるか

29〜31頁で扱う4月30日の書簡は、帰郷、家族状況の変化、支払いを説明します。差波は、訂正のある草稿の複写物で、後年の書き込みもあると示します。貴重な史料ですが、双方の経験を透かして見せる記録ではありません。紹介した阿久津銀蔵に対して、らいてうが自分の判断を説明し、関係を維持する文脈が、強調される内容にも関わります。

兄が学習の機会を望み、十分な賃金ではなく小遣いでよいと話したという説明に、支払いや治療費の記述が続きます。教育、家族間の交渉、雇用が同じ関係に重なります。援助を機会と呼ぶことは、報酬の定義を曖昧にすることもあります。兄と雇用主の合意だけでなく、本人は何を受け入れ、異議を唱え、交渉し直せたのかが問題です。治療後に帰郷を望んだという記述を含め、本人の希望は主に他者の報告を通して現れます。

差波は歴史的な比較から、給与や医療の援助は当時として悪くなかったと判断します。それは雇用の安定や、自由に交渉された条件の証明とは別です。比較に使われる史料の一部は後年のもので、この仕事を完全に同時点で測るものでもありません。区別を保てば、歴史的文脈を重んじながら、当時の普通を十分な正義の基準にせずに済みます。

解雇だけで、らいてうに配慮がなかったとも断定できません。書簡には健康や出費への注意と、必要な仕事をしてもらうという雇用主の要求が並びます。同じ配置にケアと権限があるのです。双方を認めつつ、家庭の解決策が雇用主の必要に合わなくなったとき、誰が結果を引き受けるかを問えます。

保護が依存を変え、序列を残すとき

論文はこうした出会いを、工場の労働時間、衛生設備、出産期の所得保障、農村改善についてのらいてうの議論へ結びます。政治的な応答の構想であって、四通の書簡が証明する改革の成果ではありません。女性の就労を無条件に称えることへの批判は、すでに働く女性の条件を問題にします。職業があることは、健康を損なわず働けることや、生活を失わず離職できることを保証しません。

一方、保護は将来母になるという想定や、知識階級の女性が労働者を導く構図によっても表現されます。被害を公の問題にしながら、誰が知り、導き、教えを受けるかを序列化する枠組みです。差波の叙述は、解放か偽善かという単一の判定より、この緊張を開きます。雇用主の家族、働く人の家族、工場主、公的制度はつながりますが、同じ責任や力を持ちません。

四通の書簡は家事労働者全体も、らいてうのすべての雇用関係も代表しません。声の非対称性そのものが歴史の問題です。機関のアーカイブは、一人の交渉を、働く側の理解より容易に残すことがあります。歴史家はどう動機を推定し、書簡の自己説明と確定した事実を分けるのか。当人に比較できる記録がないとき、何が未解決のままなのかが問われます。

1911年の『青鞜』創刊の辞は女性の創造力の回復を問い、後の家庭史はそれを支える労働を見過ごしにくくします。1920年代の配置がすべて1911年に規定されていたかのように遡って読むべきではありません。HirataとKergoatの家事労働の委託論は、女性間で仕事を移しても序列が変わるとは限らないという別の比較を与えます。一人が時間を得るとき、それを可能にする女性の保障、選択、承認はどうなるのか。これが共通する具体的な問いです。

読者の声

研究をめぐる対話

この研究への応答や、共に読むべき論文を共有してください。

ディスカッションに参加

コメント

コメントを読み込み中...

サポート

このコンテンツがお役に立ちましたら

FemResを支援