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ブラックフェミニズム · 上映

人を糾弾するだけでなく、対話に招き入れる

Loretta J. Ross は公開の糾弾と対話への招待を区別する。後者は責任を問い、変化を促す方法になり得るが、傷つけられた人に際限ない忍耐や感情労働を負わせてはならない。

TED / 0:14
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鑑賞ノート

2021年のTEDMontereyで、ブラック・フェミニストで人権活動家のLoretta J. Rossは、「calling in」――相手を対話に招き入れること――を、公開の糾弾と並ぶ一つの方法として提案する。差別的な言動を軽視したり、傷つけられた人に加害者を許すよう求めたりしているのではない。彼女が考えるのは、相手の行動や認識を変えることが目的なら、公開の場で恥をかかせることが常に有効なのか、という戦略上の問いだ。非難は相手を防御的にし、焦点を被害から拒絶された側の感情へ移してしまうことがある。対話への招待は、何が語られ、それが何をもたらしたのかに話を戻せる。

Rossは抽象的な礼儀作法から話を始めない。反KKKネットワークでヘイトグループを調査していた経験を振り返り、授業中に学生のジェンダーを誤って扱った際、公開の非難を覚悟していたところ、学生から寛容な対応を受けた出来事も語る。この二つは同じではない。前者は組織的な白人至上主義に関わり、後者は教室で起きた個人の誤りである。対話を重視する理由を示す事例だが、あらゆる被害を私的な会話だけで処理すべきだという意味にはならない。Smith Collegeのプロフィールも、Rossの教育が人権を扱い、反人種差別運動や生殖正義に長く携わってきたことを示す。ここでの「招き入れる」は、権力関係から切り離された中立的な礼儀ではなく、運動の戦略として語られている。

講演で特に重要なのは、権力を持つ人に責任を取らせるため、公に批判することが必要な場合もあるとRoss自身が認めている点だ。対話に招けるかどうかは、関係性、安全、権力差、そして傷つけられた人がその会話に時間を使いたいかどうかで変わる。組織が関係修復の労力を差別を受ける側に割り当てたり、「礼儀」を持ち出して被害を飲み込ませたりすれば、calling inも新たな規律になる。これは選択可能な介入として捉えるのがよい。対話が現実的に可能なときは行動の影響に目を向けるよう促す一方、権力を公に明らかにする必要があるときは、被害を明確に名指すことが欠かせない。

TEDという形式は考えを短く圧縮してもいる。Rossが示すのは対話の倫理と実践的な方法であって、構造的な人種差別や性差別、組織の加害を自動的に解消する手順ではない。見終えた後、誰が対話を始め、そのリスクを引き受け、いつ終えるかを決める責任を持つのか、具体的に考えてみたい。Rossが人権、人種、集団的な行動を別の文脈で結びつけた議論は、交差性フェミニストの実践と生殖正義に関する論文で読める。

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